テレコム九州における自己完結型エッセイ/ParaTのいけてるマルチメディア
テレコム九州は「社団法人九州テレコム振興センター」が発行する小冊子(季刊)です。

Vol.19「小泉改革もいいけど意識改革もね。」
おせちもいいけどカレーもね・・って古いかこれは。

2001年11月上旬執筆(2002年1月号掲載)

(前書き)

この号がお手元に届く頃、アフガン情勢はどのように変化しておりましょう?…ちょいと予想がつきません。
ビン・ラディン氏(国を挙げて犯罪者!と決め付けている奴に敬称が付くのも不思議なもんですなぁ・・・どうなんですかマスコミの皆さん?)が生きてるのか死んでるのか分りませんが、極力人的被害の少ない解決を望みますよ。
ところで、これって新年号になるんですよね。皆さん明けましておめでとうございます。あ、2001年中に読んでしまった方には「よいお年を!」
2002年こそ平和で景気のいい年になればいいですね。頑張っていきまっしょい。


ところで、わたしゃ最近《九州マスコミ界のビン・ラディン》なんて呼ばれて困っちょります。(…と言いつつホントはあまり困ってはいない。むしろ笑っていたりする)
・・で、九州のビン・ラディンと称される由来をかいつまんでご説明申し上げますと・・。

〜首都圏メディアでたんまり稼いだ財力(と言っても最近底が突きつつあるらしい・・泣)を用いて『WebラジオFMC』と言う《地方メディア原理主義》を標榜する怪し気な過激集団を組織し、若者を焚き付け、それを物心両面で支援する「類似イデオロギー者(意外とマスコミ者や公共職員に多い)」とのネットワーク密度を高める毎日…。
遂には、様々なメディアの既存コンテンツを次々にひっくり返しては奥深く侵蝕していくという「被害者が発生しない無差別テロ(笑)」を同時多発させている〜

な〜んてところから付けられたあまり有り難くないキャッチフレーズなんであります。ははは、でも当ってるかも。

常連読者様はご存知でしょうが、私は熊本に住んでおります。当然地元のマスコミ関係者様と面会することも《時たま》あります。すると皆さん異口同音に「熊本を面白くさせるなんかいい企画はないすかねぇ?」と聞いてきます。「企画はタダじゃござんせん!」ということは何度かこの誌面でも述べさせて頂きました通り、適当な話(企画のフリーウェアみたいなもんですな。本格的な企画はシェアウエアといことで・・笑)でごまかします。

ま、それはいいとして、皆さん「面白くさせたい」とおっしゃる。ということは「現状は面白くない」と認めていることになります。しかもその裏側には「我々マスコミが面白くさせなければ熊本は面白くならない」という責務というか自尊と言うか・・ともかくそんなものもな〜んとなく感じ取ることが出来ます。
ふむふむ・・・な〜んだ答えは簡単じゃないの。

『あんたらが変わればいいんだよ!』
類型の典型、二番煎じ、いつも同じ顔ぶれ・・・。そんなことをやってるから面白くないんだろ。だったらあんたの思考回路から切り替えなさい。小泉首相も言ってる通り、進んで改革しなさい。・・結局これしか方法は無いですわね。でもこれが出来ないんだなぁマスコミの皆様って…。

自己改革の動きが鈍い民間企業は?と問えば、私はズバリ《銀行・建設・マスコミ》と答えます。
「不良債権問題、税金依存型という新聞でお馴染みの言葉から脱却できない2つの業種と違ってマスコミが何故?」とお思いの方も沢山いらっしゃると思いますが、九州に特定した話ではありませんが、いろいろありますよ。
景気のいい時に採った人材が今や部課長管理職殿!にご出世。でも使う場所が全然な〜い。・・んでもってワンフロアに部長並のおじさん(かなり高給)がずらりと鎮座して茶を飲んでいるだけの人経費浪費型放送局とか、本業を一所懸命やっていればいいのに、下手に地面なんかに手を出して大損こいている新聞社とか・・・。
ま、強力な組合パワーの前にリストラもままならず、かと言って斬新かつ効果的な企画を推し進める胆の太さも無いときたもんだ。嗚呼、そんな会社を幾つも見てきますとね「何やってんだろ・・この人達は・・」という感しか持たないですよ実際。
銀行や建設はマスコミが叩きますが、じゃマスコミは誰が叩くんだろ・・。これって社会システムの疲弊なんでしょうなきっと。


-改革の成功例-

私はある放送局の爆発的急成長時代に番組制作者の端くれとしてその中にいました。その放送局はかつて《民放のお荷物》と呼ばれていましたが、今やトップランクの大メディアに大変身でございます。
その放送局は、石油ショックの際に本社の人材を子会社に追い出して何とか人件費を浮かすことに成功していましたが、長い期間低迷状態が続きました。
その後、トップが急にやる気を出しちゃいました。人事が大きく動き、地方局に飛ばされていたやる気マンマンの編成局長殿(番組ラインナップの責任者)が戻ってきちゃいました。すると彼は《驚くべき大改革》を断行しちゃったのであります。
銭を投げて犯人を静止させるという《物理的にあり得ない捕縛方法》で岡っ引きが大活躍する人気時代劇を「888回でキリがいいから」という単純な理由で打切り、芸能人家族がオランダ旅行を賭けて一見楽し気に歌を披露するという極めてどうでもいい人気番組も冷たくぶった切るなど、その局が築いてきた既存のイメージを徹底的に打破する、まさに《血も凍る大改革》でありました。
一方、子会社に飛ばされていた《やる気マンマン》の若手演出家達が一斉に呼び戻され、ある者は突如得体の知れない『マンザイ番組』をスタートさせ、ある者は、背の高い女性アナ(他局出身)と、昔ロバ君の着ぐるみに入っていた新劇俳優の2人に司会をさせたワールドドキュメントをベースとした『クイズバラエティ番組』をスタートさせました。これらは何れも驚異的な大ヒット!
余勢をかって今度は映画会社とタッグを組み、蒸気機関車が宇宙を旅するSFアニメや、犬が南極においてけぼりになる悲惨な実話を描いた映画、猫と犬が出てくるだけのどうでもいい映画などを連チャンで大ヒットさせる(実は巧妙なカラクリがあったりするんだけど、この話はいずれまた)などまさに《向かうところ敵無し状態》であります。
さらに、女子高生グループに《性体験の早期実現》を促すような下品な唄を歌わせ(実はこの時に日本の性道徳の舵が大きく動いたと言われている)出す曲、出す曲これまた大ヒットであります。
余談ですが、ドラマと報道が得意という割にはバラエティ番組ばかりが印象に残る老舗ライバル局でやっていたランキング形式の超人気歌番組が、この女子高生グループ(実は女子高生以外もいたのだが)の本隊または分隊によってあっと言う間に占拠され、慌てた番組プロデューサーがランキングを意図的に操作するという暴挙に及び、女子高生グループを抱える「元お荷物放送局」が激怒して同番組をボイコット。同番組が急激に没落する決定的要因となった・・というのは業界では非常に有名なエピソードであります。余談おわり。
さらには深夜枠を《若手予備軍養成枠》と位置付け、実験的な番組を続々と誕生させました。その甲斐あって、それまでの民放テレビジョンのイメージを払拭する真新しいイメージを創出することにも成功しました。
そんなこんなで、かつて民放のお荷物だったこの局は、業界トップランクの地位を築くことに成功したわけです。まさに大改革の賜物でありますな。編成局長が後に社長に昇進するのも当然と言えば当然。

しかし今はと言いますと、ちょいとお寒い・・。大成功に寄与した演出家達は、ある者は独立し、ある者は管理職に昇進して現場を離れていきました。そしてその後に登場したのが、ナンバーワンを死守することに躍起になる《比較的保守的な第2世代》であります。
気がつけば、お荷物だった頃のように「二番煎じ」「類型の典型」と言った企画が平然と並び、やたらとF1層(要するに20代の女性)を意識し過ぎた番組ばかり並べて『ああ、もっとこってりした物を食べたいなぁ!』という視聴者の欲求を逆に増幅させてしまいました。
その隙に、民放界のトップランナーを自認する人気球団系テレビ局が、ドラマでもバラエティでも何でも徹底的に悪どい演出で《こってり感》をアピール。視聴者の欲求に見事に応える形で視聴率をかっさらっていきました。今では互いの牙城を脅かすという緊張関係に陥っておりますな。「8vs4」の戦争は(わかる?)、いずれ「お台場VS汐留」というキーワードになって現代用語の基礎知識に掲載されることでありましょう。

ところで私は、この2つの局をオーバーラップするような感じで双方で仕事をさせてもらってましたが、大改革で伸びていこうとする緊張感と、抜かれたものを抜き返そうとする緊張感の双方をインサイダーとして味わうことが出来ました。これは得難い感覚であります。

もちろん保守的な思考に陥った連中も沢山見ております。冒険の仕方を分かっていない連中と言えますが、ま、これは企業の宿命と言いますか、仕方がないことでしょう。
ただ、あくまでこれは《先達の大成功を維持するという使命感による保守主義》でありますから、企業体の護持という視点に立脚して考察してみたら「まぁそんなもんだろ」という風に納得がいきます。
しかし、地方局の皆さん(勿論総べてがそうだと断じているわけではなく、当然やる気マンマンのところもあるでしょうけど・・・ある?ほんと?)がそういう保守主義に偏っている様子を見るにつけ「おいおい。マジかよ」と思ってしまうのです。
キー局からのネット補償の恩恵もこれからますます先細りになるであろう21世紀。独自のスタンスで利益を求めていかなければならない21世紀。魅力的な商品(コンテンツ)を並べ続けなければ競争についていけない21世紀(しつこい)。
自らに課せられた使命はたった1つ・・『フロンティアスピリッツ』なのです。
ルーチンワークとテンプレートワーク、それに田舎独特の地縁血縁青田刈り&コネクション偏重・・こんな旧態依然としたことを続けていては何も新しい物は生まれません。


-トホホな話-

こんな話があります。
とある地方で活躍している地元文化人の有志が集って1つの企画を立案しました。それは『私達が住んでいる町で、音楽や美術などの創作活動に取組んでいる人、コミュニティの創設に取組んでいる人、新しく起業しようと頑張っている若者・・そういった頑張っている人達の情報交差点として、週に1回そうった人達(勿論一般の人もOK)が気軽に集まって会話ができるトークサロンを作ろう。それはクローズドなものであっては意味が無いので、地元コミュニティFM局で生番組として放送してもらおう』という至極健全な企画でありました。
コミュニティFMというのはまさにそういうものを放送するためにあるようなもので、勿論災害時の緊急メディアとしての性格もあるんでしょうが、平時はまちがいなくコミュニティを念頭に置いた編成をするべきでありましょう。なんと言っても「コミュニティ」なんですからね。県域局の物真似ミニ放送局じゃないはずですから。(でも実際はどうかな?)
で、彼等は赤字コミュニティFM局様に負担を掛けては申し訳ないということで、全てノーギャラ、制作経費も頂かない!というボランティア的基本姿勢を打ち出しました。ちなみに彼等の中にはプロとして活躍中のディレクター、フリーアナウンサー、CMプランナー、雑誌編集者、デザイナー、写真家など錚々たる顔ぶれが揃っております。これだけの面々がまとめてノーギャラ!というのは放送局側からしたら「恐ろしく美味しい話(県域局プロデューサー談)」であります。
さらに編成力学的に言いますと、ある曜日の昼間の数時間は、衛星ラジオの再送信(スポンサー無し)をやっていまして、放送枠的に「空き家同然」だったそうであります。
「ならば!障壁は無し」ということで大人の交渉が始まりました。
ところがここからが凄い。実は障壁はその局そのものだったのです。
編成担当者いわく「番組には局側の担当者をお目付役としてつけなければならないが、人手が足らんから今は無理。出直してきてね!」という強烈な返事が返って来たそうでありますよ。
ちなみにこの局は第3セクターなんだそうですが、この杓子定規的な考え方っていうのはこれはむしろアートですなアート。大体、番組って言ったって長くて2時間位の話。それ位の時間調整が出来んでどうすんの?(笑)ってな話です。第一「お前の目付けよりもっと正確な目付けが出来るベテランが揃っておるわい(当事者フリーアナウンサー談)」です。しかし何ともトホホな結果となってこの素晴らしい企画は一旦棚上げになったそうです。(あ、うちだったらこの企画、まっ先にかっさらいますよ・・笑)


-今月のまとめ-

停滞した状況に対する不満(ストレス)というものは、共有感覚を持つ者が出会う度に、会話と想像力の相互作用によって数倍に膨らんでいきます。そしてストレスがパンパンに膨らんだ状態(これが日本人の場合、恐ろしく丈夫に出来ていまして、自分では割れないようになっています)に達した時、ニヤリとほくそ笑みながら針を突き刺す過激派が登場してくることになっています。これは不変のセオリーです。
そう言えばタリバンってやつもそうでしたね。明治維新もそんなもんでしょ。
早く自己改革しないと、私が針を刺しますよ。九州のラディンだそうですから。
え?もう刺しちゃってるじゃんって?あらホント?…失礼しました。(笑)


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