熊日夕刊「ヤング欄」における自己完結型エッセイ

アメーバ捜査網・最終回「あきらめるか、戦うか」

1998年3月中旬執筆、3月24日掲載

(熊本日日新聞夕刊「ヤング欄」で隔週連載されたコラムです)

「熊本なんて福岡の小判鮫にすらなれない駄目な街」…そう書かれた長文の手紙を受け取ったことがある。

 手紙の送り主であるAさん(あえて性別は伏せる)が私やインターネットラジオのリスナーに伝えたかったことは「新しい文化やムーブメントを産み、育てることが出来ない《熊本というシステム》への憤りや焦り」であったのだと思う。

 昔から存在するものだけがイチバンで、新しいものは全て番外という気質。

 あの高校がイチバンで、あの政党がイチバンで、あのデパートがイチバンだという「寄らば大樹」というキャラクターのことだよ。

 これがどうにも我慢ならない反乱予備軍はなぜかアングラ化するばかり…。

 そんな状況が新しいものを産み出そうという若者のストレスを増大させる。

 逃げられる若者は東京へ福岡へと逃げる。だが、逃げがきかない若者はどうすれば良いのだろうか?

「あきらめるか、戦うか」…そのどちらかしか選択肢は残されていない。

 手紙を送ってくれたAさんとはその後、電子メールでメッセージを数回やりとりした。が、結局「最後」まで直接会って話す機会は訪れなかった…。

 Aさんは、二十歳そこそこの命を、自ら絶ったのである。

「何故!?」

…Aさんの自殺の原因を私は知らない。熊本に対する問題意識が起因していたかどうかも分からない。

 ただ、あの手紙に記された「熊本を一括否定するメッセージ」が、私の脳裏からどうしても離れない。

 簡潔で聡明。そして自らの体験が投影された「都市への評価」が、見事にマトを射抜いていたからだ。

 私も、今の熊本は相当ヤバイ状態にあるように思えてならない。だがそれを変えられるのは若者のパワーだけなのだよ残念ながら。

 構造的なもの、意識的なもの…それらの何がどうダメで、何をどうするべきなのか。相当オブラートに包んじゃったけど、このコラムで訴えたかったことはこういうことだった。

 最後に言いたいのは「逃げたい奴は堂々と逃げろ」ということ。逃げることに後ろめたさを感じる必要は無いのだからね。

 そしてもう一つ…。

「残って戦う奴は徹底的に頑張れ!諦めた奴は戦う者の足を引っぱるな!!」

 今もAさんの心の叫び声が聞こえる…。熊本が若者によって変わる時は果たして来るのだろうか?

 この土地が好きだから気になるんだ。



以上、最終回の原稿です。

短い間でしたが、私にとってもう一つのホームグラウンドとも言える「ヤング」でコラムを担当することが出来たのは、本当に嬉しいひとときでした。
担当の平井さん、松本さんにこの場を借りて御礼申し上げます。
本当にお世話になりました。

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