熊日夕刊「ヤング欄」における自己完結型エッセイ

アメーバ捜査網・第5回「小さな火でも集まれば」

1998年1月上旬執筆、1月13日掲載

(熊本日日新聞夕刊「ヤング欄」で隔週連載されたコラムです)

 私は山梨出身なんで、ネイティブ熊本人ではない。放浪の詩人種田山頭火とはどこかで縁続きらしいが、特に近しい親戚は見当たらない。つまり私は外来品種ということになるね。

 その上、基本的に突然変異(変わり者?)の一種らしく、普通の生き方がおよそ出来ない。
 東京から百万円の仕事の話が来てもあっさりと断わり、代わりに熊本で一円にもならないボランティアを喜んでやっていたりするわけで、「そういえば最近めっきり貧乏になってきたなアハハ…」などと他人事のように高笑いする正月。いやめでたしめでたし。

 さてさて、いま一つパッとしない熊本のサブカルチャーだとかを何とかしよう!という議論が、このコラムをきっかけとして開設したホームページの上で、静かに、だが確実に広がりを見せつつある…。

 熊本には「肥後の引き倒し」という足引っぱりの代表選手のような笑えない言葉が残っているけれど、この言葉や風潮に対して「ええ加減にせえよ!」と半分キレかかっている方が潜在的にいたようで、彼等の意思や思想や体験談が、インターネットという「古い体質を破壊する最終兵器」によって見事にリンクし始めているのでありまする。

 思えば、二十歳になるかならないかで旧体制をぶち壊して行政改革を成功させちゃった山形県米沢藩主の上杉鷹山クン(こないだ筒井道隆主演のドラマがあったけど見た?)のように、最初は小さな火でも、それが幾つか集まればいつかは大きな炎となって燃え上がるっちゅうことが現実にあるわけで、そういう事実というか教訓に勇気づけられて、私はとりあえず焚きつけ役を勝手に楽しんでいるのである。

 先日、本紙の投書欄で阿蘇にある国際童謡館の大庭照子さんが「熊本についてもっと議論をしましょう」という内容の文章を寄稿されていた。それを読んだ私は久々に嬉しくなったよ。

 頭の固いこと、つまり融通の効かないこと、もっとはっきり言えば「先見性皆無で大口叩きの井の中の恥じ知らず」がやたらと出しゃばる熊本のいろんな場面を目のあたりにして、いい加減ヘキヘキしていたところだったので、まさにホッとする出来事であった。

 焚きつけ役は他にもきっといる。それは君かもしれない…。年齢経験性別出身地など一切不問。今すぐ勝手に点火すべし。

ParaTエッセイ・トップページに戻る

all right reserved"fm-monday club"kumamoto.japan.1999-2001