熊日夕刊「ヤング欄」における自己完結型エッセイ

アメーバ捜査網・第4回「熊本で意外なことって・・・」

1997年12月上旬執筆、12月16日掲載

(熊本日日新聞夕刊「ヤング欄」で隔週連載されたコラムです)

 以前は予想だにしなかったことが、今や突然目の前に現われる時代なのかもしれない。

 ブラウン管の中で吉田拓郎が篠原ともえに突っ込まれる姿など、少なくとも十年前に想像することが出来た奴はいないだろうし、エーちゃんがロボットとコントを演ずるCMに誰も意外性を感じない驚異的な時代が来ることを予想出来た奴も恐らくいない。

 まして社会科的に言えば、ソビエトや東ドイツという言葉が死語になるなど我々一般庶民には予想だに出来なかったことだ。

 これらと同系列には考えるのはちょいと無理があるけれど、熊本で「意外!」なことってほとんど無いような気がする。言っておくけど、道端で意外な自然や風物に出会った…というのは別の次元のお話。

 これまで熊本で行われた様々なイベントやパフォーマンスで、意外だったもの、強く印象に残っているものが私には全く無い。「やはりそう来たか」…というのと「あ〜あ他に無いのかねぇ」…というのばかりなのである。

 これはメディア業界に17年も足を突っ込んだ人間(つまり私)の枯れた思考がそう思わせるのか、あるいはこれを読んでいるであろうティーンエイジャーの皆々様もそれに近い感覚をお持ちなのか…。そこらへんは正確なデータが無いので何とも言えないけれど、うちのfmcスタジオに出入りしている高校生や大学生の連中は、少なからず同じ思考をお持ちの御様子。やはり好印象はあんまり無いみたいである。

 いろんな局面で思うことなんだけど、一種のセオリーみたいなものに固執している連中が熊本の瞬発力をあらゆる面で奪っているのだろうなぁ…と思ってしまう。特にサブカルチャーの側面から見れば、かなり確信的にそう思える。

 もうすぐクリスマス。世の中が「類型の典型」つまり同じようなことで皆が同じように盛り上がる時期。別に類型の典型を否定するわけではない。だけどそればっかじゃ面白いわけがない。飽きちゃうよね。

 何か一発、意外性のあるクリスマスの過ごし方をやってみようという「変わり者」が「単純思考型ワサモン」を駆逐する時が来ることを心より願っている。

 さてさて、今年のアメーバはおしまい。また来年もキミ達に「喝」を入れにやって来ます。
暇な奴メールくれ。

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