熊日グリーンページにおける自己完結型エッセイ

「熊本のボロ指摘日記4」

1997年9月上旬執筆

熊本のボロなところ指摘日記(4)

「防災の日ラジオに思う」・・・

9月1日「防災の日」である。
間もなく90才に手が届くうちの父親は関東大震災を体験しているせいか、震災の話になると弁舌に熱が入る。
その血を受け継いだわけではないが、メディアプロデューサーという仕事柄、防災問題に直面するメディアの姿勢などには強い興味を覚えたりする・・。

《今日、NHK熊本局・RKK・FMK・シティFMの4局が共同番組を放送した》
まず、防災をメディア共通の問題として捉えようというコンセプトは良い。共同で制作するという実験的な試行も良い。

だが、何故に4局同時放送なのだろうか。

ある程度のステーションカラーが申し訳程度に入っているとは言え、所詮、昔の民放版「ゆく年くる年」のような、どのチャンネルをひねっても同じ音と絵が飛び出す《金太郎飴》状態そのままの安直なスタイルである。

制作側からすると、他局のスタッフとの共同作業にはそりなりに刺激があったり、充実感があったりするものなのかもしれない。しかし、そこには大きな忘れ物がある。それは「聴取者の選択権」である。

共同制作は良い。防災について皆で考えるのも良い。ならば、せめて時間ごとにリレーして放送し、リスナーの選択権を考慮した方策がとられても良かったのではないか。その上で、各局のステーションカラーや視点の違いなどをアピールして欲しかった。

とは言え、NHK熊本局・RKK・FMKという県域局に、シティFMという市域局(コミュニティ放送)が加わっているから、リレーというやり方は難しいのだろう・・。

ここで問題なのは、シティFMのコミュニティ局としてのあり方である。少なくとも県域局と肩を並べているかのような《愚鈍な背伸び》は無用である。
敢えて、独自のスタンスで「熊本市民の利益」を考えた番組作りをすべきなのであり、本当に「防災時に役立つ市民ラジオ」と言うのならば、それなりの自覚と制作能力を、県域局に勝負を挑むほどの迫力でアピールすべきなのである。

また、ものすごく専門的な話になるけれど・・
《変調施設と搬送施設の安易な設置状況が、大規模震災時のコミュニティ放送最大の弱点》だと私が某技術専門誌で指摘したところ「知らなかった」「驚いた」というコミュニティ局関係者の声が複数届いて・・「知らない」という寒いリアクションに私の方が驚いたという経験があるけれど、シティFMはグラリときても大丈夫であることを祈る。

ともかく、何度も言うけれど「防災について考えることは良いことである」しかし、メディアの自覚は必要である。

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