九州から観て東京よりも近いのがアジアです。

長編紀行エッセイ「釜山右往左往」続き

「ボラれたって大したことないでしょうしね」
「行きましょ行きましょ!」
 てな具合で我々は賢者の忠告を自ら封印して魔の巣窟に飛び込んでいったのであった。
 六人位で一杯になりそうなテント屋台の中は小さな石油ストーブが一つ置いてあって
多少は暖をとれるようにはなっているものの真冬である。結構冷えるのである。
 片言の日本語が分かるという愛想の良い28歳位の女ともう少し若いけど不愛想な女がこの屋台の店員であった。
 乾燥しているおかげで喉がカラカラになっていたので寒さをものともせず一杯目のビールで乾杯ということになった。韓国ではお馴染みのOBビールのドライであった。なんだか妙に水っぽいビールである。
 肴はやはりホヤであろう。私はホヤがたまらなく好きである。何年か前のことだが私が放送作家という仕事をしていた頃、同業の悪い仲間4人でいつものように徹夜で飲んでいたら話が盛り上がって「朝になったら新幹線で東北に行って新鮮なホヤとウニを食いに行こう」ということになってしまった。結局朝一番の新幹線で仙台まで行きそこから仙石線に乗り換えて女川というところまで行って途中見付けた漁師に「取材だ」と騙して獲れたてのホヤやらウニやらをタダで分けてもらってたらふく海岸で食ったことがあった。前夜からずっと車内でも飲みっ放しだったのにも関わらずあの獲れたてのホヤの鮮烈な味はどうしても忘れられない。
 ホヤが出てきた。日本のようにきゅうりと和えた酢の物ってな奴ではなく、ブツ切りにしたホヤにコチジャンのような甘い辛子味噌を付けて食うのだぞうだ。一応醤油とワサビも出てきたが韓民族の食文化に敬意を評して韓国流で食うことにする。唾液で一杯の口中に韓国風ホヤを放りこんだ。
 すると、変な感じだが旨い。まずホヤの鮮烈な香りが襲ってきたと思うと次はホヤの塩気そして味噌の甘味、最後にスパイシーな辛さという順である。なんかいくらでもいけそうである。
 ビールも飽きたので有名な「真露」という韓国焼酎に切り替え、刺身だの鳥肉の韓国風味噌焼きだのを奨められるままに注文し、いい気になってバンバン食べたのであった。
「四万八千ウォンです」
 なかなかドキッとする勘定である。これが四万八千円であったら警察ざたになるところであるが何せウォンなのである。円の約六分の一の貨幣価値なのだ。ということは「なあんだ八千円じゃん安い安い。貸して不仲になるよりもいつもニコニコ笑う現金なんてね」とどこかの親爺のようなことを言いながら勘定を払って店を出たのであった。
「ちょっと待って下さいよ。えらく高くなかったですか?」
 あまり酒を飲んでいなかった足達が冷静に分析を始めたのであった。「だってビール2本と刺身2人前に鳥の味噌焼きでしょ。八千円ってことは日本並みの値段ってことじゃないですか」
 確かにそう言われればそうである。韓国の物価を考えてみればどう計算しても高い。
「やられた。くそぉあのアマア!足元見やがって」
 またまた印象度はペケであった。

 失意のもと部屋に戻った我々は今度はホテル内のディスコに行くこととなった。番組プロデューサー氏から「ホテルのディスコで韓国の若者の生態を見てくるといいくさ」と言われていたし我々も少し興味があったからデンスケをかついでのこのこと出掛けてみることにした。
 ディスコは地階にあった。入口に近付くにつれてビートの効いたドンシャリの音楽が聞こえてきた。ここでは入場料というものはなく中での飲物や食物の料金のみというなかなか良心的なディスコであった。
 日本のそれとあまり変わらないテクノハウス系のダンスミュージックにのせて若い男女が踊り狂っている。女はそれなりに着飾っており「どう?あたしたちもおしゃれでしょ」てな感じでなかなかグーである。それに引替え男はダサダサであった。七三頭に銀ブチ眼鏡それにオヤジ的なポロシャツにスラックスという出立ちで、踊り方もどこか郷愁を感じさせる《盆踊り早送り風》といった感じであった。これもやはり徴兵が関係あるようである。
 曲が一段落して照明がムーディーなものに変わった。どうやらチークタイムのようである。流れてきた曲は何故だか聞き覚えのあるイントロである。よく知っている曲なのだがこのシチュエーションではなかなか思い出せない。イントロが終わって唄が始まって私達は思わず吹出してしまった。なんと「かたい絆に思いを寄せて…」というやつだったからである。まさか長渕剛の乾杯がチークタイムの音楽に使われているとは思わなかったが我々がデンスケを回していたりしたんで、このディスコのDJだという女性から声を掛けられてしまった。
「この唄は日本では結婚式で唄われるのだ」
 と足達が言うとこの女性DJは、
「ノーノー。ディス・イズ・チャパニーズ・ブルース」
 と言ってきかないのである。
「うーむ、ブルースなのかなあ…ブツブツ」
 などと言っていると、
「日本のレコードいろいろある。DJブースを見せるからおいで」
 と言うので付いて行くことにした。
 一畳半位のスペースが彼女のDJブースなのであった。DJといっても予め編集済のカセットテープをかけるだけの単純なものだが編集には凝っている風であった。
「これニホンのオンカクね」
 出てきたレコードは五輪真弓とチャゲ&飛鳥であった。日本のディスコでこれらのレコードを見付けるのは極めて稀なことであるがここ釜山ではれっきとしたジャパニーズロックなのである。
 いろいろと見せてもらったお礼として彼女に日本の最新CDを贈る約束をしてDJブースを出た。
 フロアは再びチークタイムとなっていた。ジャパニーズブルースで釜山の若者たちは熱く抱き合い揺れていくのであった。

「笑っちゃいましたね」
「乾杯だもんなあ。別府のホテルのディスコでソウル・ドラキュラがかかっていた以上に笑えたなあ」
 などと言いながら夜食を買いにホテルのすぐ近くにあるコンビニに出掛ける。品揃えは日本のコンビニと差程変りないがなんとなくうすら淋しい感じがした。
 ここで私は温めてあるパック入りおでんと海苔巻き弁当を買った。韓国では海苔巻きはポピュラーな食物のようである。
 部屋に戻って早速食べてみるとなかなかしみじみとした味であった。おでんは少し薄味だが竹輪、大根、コンニャクが入っていて日本のものと大差ない味である。
 コンニャクというのは元々中国で生まれた食品で、日本には仏教の伝来とほぼ時を同じくして伝えられたそうである。本家の中国では既に廃れてしまっていて今やコンニャクは日本だけで食べられているとその手の本で読んでいたのだが韓国でコンニャクに出会えるとはちょっとした驚きであった。
 一方、海苔巻き弁当の方はと言うと俵型の一口サイズの海苔巻き9個にキムチ、カクテキ、花ラッキョという「ヘルシーと言えばヘルシー。ハードと言えばハード」な中身であった。

 翌日である。今日はガイドさんの案内で釜山市内の観光地を訪ねてレポートすることになっていた。
 一応身だしなみを整えるため朝風呂に入ることにした。要するに朝シャンである。
 ホテルの風呂には大抵一回分の使い捨てシャンプーとかリンスなんかが置いてあるものである。このホテルでもご多分に洩れずちゃんと置いてあるのだが日本のそれとは一味違う代物であった。なんと《人参シャンプー&リンス》だったのである。
「さすが韓国だなあ徹底しているもんだ」
 と関心しながらも人参の独特の香りに包まれてしまうバスルームだったのである。
 ロビーに出ると30過ぎの女性が近付いてきた。
「足達さんと唐沢さんですね。ガイドのキムと申します。車を用意してありますのでどうぞこちらへ」
 なかなか丁寧な感じのする女性である。昨日釜山に着いて以来、この町からはどうも粗野な印象しか受けなかった私には何となくホッとする瞬間であった。
 用意してあったワゴン車に乗って釜山タワーや秀吉の水軍を撃破したことで有名な李舜臣将軍の銅像がある竜頭山公園、別名自殺台という投身自殺の名所の太宗台公園、ビルの中が魚市場となっていて観光客に強引に魚を食わせようとするチャガルーチ市場など観光ガイドそのままのコースを回った。

 お昼は国際市場という釜山随一の繁華街に入り、釜山で一番おいしい冷麺(ネンミョンという)を食わせてくれるという《ウォンサン・ネンミョン》という店に入った。
 テニスコート一つ分位ありそうな広い店が一杯のお客で賑わっている。オンドルの座敷に上がって「なるほどこれは暖かくていいですな」などと言っていると店のおばさんが大きなヤカンと人数分の湯呑みを持ってきた。
「お茶ですか」
 と尋ねるとキムさんは悪戯っぽく答える。
「いいえお茶ではありません。飲んでみればわかります」
 と謎めいたことを言うのである。私はたぶん高麗人参茶か何かであろうと思ったのだが湯呑みに注がれるその液体が何となく白濁していて油のようなものもキラキラ光っているので不思議に思っていると…。
「さ、飲んでみて下さい。きっと気に入りますよ」
 とキムさんが自信たっぷりに言うので早速飲んでみた。
「わあ、こりゃあうまい」
 何と!これは上等のスープなのであった。胡椒が効いていて肉の旨味が凝縮されていてともかくこれまで飲んだどのスープよりも数段おいしいスープなのであった。変な臭味もなく油も決してしつこくない。化学調味料をドバッと入れたヤクザなスープとは土台が違うのである。思わず何杯でもお代わりしたくなるスープなのである。絶賛物である。しかもこれがうれしいことにタダなのだ。日本でいうお茶やお冷やの感覚でこの店では上等のスープが出てくるのである。これは何としても評価を二重マルとしなければなるまい。
 スープの味に感激して思わず三杯目を飲んでいるところに注目の冷麺が出てきた。日本でも焼肉屋なんかで韓国風の冷麺を出すところがあるが果たして本場のそれは如何なる物であろうか…。などと思っているとおばさんはハサミでチョキチョキと麺を食べやすい長さに切り始めた。どうもお国が違うとやり方も違うご様子である。
 ステンレス製の箸でズルズルと食べ始める。それにしても私はこのステンレス製の韓国独特の箸と韓国スプーンは素晴らしいと思う。先日、太宰府天満宮の歴史研究所長の味酒さんにお話を伺う機会があったのだが、この人は権禰宜(ごんねぎ)という立派な神職に就いているにも関わらずなかなか気さくでダンディーなおじさんである。だがさすがに歴史研究所の所長というだけあって、日本と朝鮮半島との文化的交流や食文化の歴史などには実に詳しい。
 その味酒さんの話によると韓国はかなり昔から陶器の文化であったという。熱い汁を陶器に注ぐと当然器も熱くなって持ちにくくなるのでスプーンの重要性が高まったというのだ。反面日本の場合、木製の器が多く瀬戸物が庶民の手に届くのは江戸時代になってからだそうだ。木製の場合は断熱効果が高いから持ちやすいのでスプーンの必要はあまり無くなる。だから日本ではスプーンというものがそれほど発達しなかったというのである。なるほど頷ける話である。確かに韓国のスプーンはその深さといい大きさといい長さといい汁物だけでなく飯物に対しても実に食べやすく出来ている。西洋スプーンの比較にならないほど機能的なものなのである。一家に人数分の韓国スプーンは絶対に必要である。
 話が脱線したので復旧するが、冷麺はやはり旨かった。ともかく正直な味がしてうれしかった。本場はやっぱり違うなあと関心する。
 復旧したけどもう一度脱線するのである。韓国スプーンは素晴らしいのでキムさんに頼んで国際市場の金物屋に連れて行ってもらうことにした。キムさんはなんでそんな物買うの?といった怪訝な顔をしていたが、前々から欲しかった品物だし本場のしかも業務用の奴を求めたかったのである。今回の旅のハイライトはまさにこれだったのである。

 人の良さそうなオヤジがやっている金物屋に案内された。ここでピカピカの上等なスプーンと箸を二十セットづつ購入した。我家ではカレーを食うときはこのスプーンが見事に重宝されている。実に食べやすい。やはり「一家に人数分の韓国スプーン」と言っておこう。

 再び話は復旧するのである。一応取材用のポイントは全て回ったのでホテルに戻ることになった。
 途中高速道路を通ったのだがここの料金所での払い方がなかなかワイルドである。ゴム製の黒い篭に硬貨を車内から投げ付けるのである。やることなすこと全て喧嘩ごしといった感じである。
 それにしてもこの町の交通事情は凄まじいものがあった。全車ベタ付け強引割り込み急ブレーキ当たり前という状態なのである。これでは交通事故続発であろうと思ったら不思議に事故は少ないとのことであった。ひょっとしたら釜山の人は世界一運転が上手かもしれんなどと関心する次第である。

 ホテルに着いた。キムさんに礼を言って別れる。キムさんは何度も来日した経験を持つなかなかの日本通である。特にトレンディドラマなどは日本にいる友人に頼んでビデオを送ってもらって見ているほどだそうである。だから車の中でも「あの武田鉄也という人は歌手だそうですね」とか「浅野温子は美人ですね」という話で盛り上がったりしていたのである。
「今夜はプルコギ(韓国風焼肉)といきましょう」
「後でフロントに頼んでいい店を紹介してもらいますか」
「ちゃんとした料金の店ですね」
 などと言いながら部屋に戻りちょっと休憩してからまた出掛ける。なかなか忙しいのだが実はお土産を買わなければならなかったのである。

 出発前、ある女性から何だかわけの判らん化粧品のリストを渡されており免税店でそれらを買えるだけ買ってこいというお達しであった。
「なにかと大変ですなあ」
「いやいやそちらこそ」
 などと言いながらディレクターとパーソナリティはホテル近くの《パラダイス南門免税百貨店》というメリハリの効いたネーミングの店へと歩いていくのであった。
 店内はシーズンオフだけあってガランとしている。その分、店員の視線は常にお客の動きを的確に追尾することになるわけでこちらとしては非常に居心地が悪い。
 化粧品売場に行くと様々なブランド毎のコーナーがあるのだが、私のように生まれてこの方化粧品などという代物を一度も購入したことが無い輩にとってこういうものは全く未知の世界なのである。
「あのう、すいません」
「はいいらっしゃいませ」
「これ欲しいんですけど」
 と言って例のリストを店員に渡す。すぐに分かったらしく。
「あ、わかりました。少しお待ちください」
 と言ってリストに並んでいる品物をショーケースから取出し始めた。何とか難関をクリアといった感じである。
 一方、足達の方もイイ人へのお土産ということで同じような化粧品の類を選んでいる。それにしても大の男二人が揃いも揃って化粧品の前で唸っているなどという図はしまらないものである。
 代金を払いつつ「うーむ、これは中学の時に初めてGOROを買った時の恥ずかしさに近いな」などと思う私であった。
 化粧品売場を後にして文具やカメラ、ネクタイなどの高級品を横目に見ながら歩く。やはり店員の目がいちいち気になる。
「俺達、ブランド品とは無縁だけんね」などとやせ我慢を胸に秘めながら次のスポーツ用品売場まで来て「ハッ」としてしまった。何と!昨夜のボッタクリ屋台のあの《愛想のイイ顔していたくせにボッタクリやがってチキショウ殺してやるう女》が涼しい顔して店員をやっていたのである。その姿を見た瞬間怒りがドーンと込み上げてきたのだが何だか突然「いったいこの国は何なんだ」という諦めというかなんとも形容のしがたい思いがしてすぐにこの店を後にするのであった。

 ホテルに戻りながら「彼女は一家の生活を支える為に昼は店員そして夜は屋台でボッタクリをしなければならないほど大変なのだ」とか「きっとあの店員は他人の空似であの屋台のボッタクリ女とは別人なのだ」などと自分に言聞かせながら何とか自己完結を図りたい気持ちで一杯であった。
 こういう変な気分の時は腹ごしらえするに限る。夕食までは少し時間があったので、おやつ代りにカップ麺を食すことにした。プロレスラーのタイガー戸口(キムドクとも言う)にそっくりな似顔絵が目印のカップ麺を選び、若干ぬるめのお湯を注いで海岸まで持っていった。

 まだ冬の海である。風が強い。恋人同士が肩を寄せ合う姿…。青春の海なのである。その中でカップ麺をズルズルとすする日本人二人。異様である…。キムチ味の激辛ラーメンで暖まったのでズルズルと部屋に戻った。
 部屋に戻ったはいいがやることが無い。TVをつけたら韓国のアイドル歌手が歌の合間に体操競技をやっている番組であった。
「なんか昔のヤンヤン歌うスタジオみたいですね」
「おもしろそうなんだけどよく分かりませんな」
 チャンネルを変えるとNHK衛星放送であった。ここら辺では60センチ位のパラボラで日本の衛星放送が受信出来るのである。
「なんかつまんないですねえ」
「そう言えばこのホテルには温泉が付いてたんですよね」
「そうそう、行ってみましょう」
 てな感じでまたまた部屋を飛び出す我々である。

 大浴場である。温泉なのである。サウナも付いていてなかなか結構である。単純食塩泉と書いてあったような気がしたがはっきりと覚えていない。まあ取りあえず温泉ではあった。
 結構外人が多い。そういう我々もここでは外人なんだろうが、なんちゅうか要するに西洋人が多いのである。黄色人種と白色人種の割合が6対4位である。異様に体格のいい白人なんかが湯槽に入ってくると形容のし難い威圧感があったりする。太平の眠りを覚ます蒸気煎たった四杯で夜も眠れずと言って白人を天狗様と勘違いした昔の人ほどではないが…。それでもそんなことには敗けない図々しさを誇る私は堂々と高麗人参入りボディシャンプーで身を清め、当初の予定通り今回の旅のハイライト《プルコギ》へと向かうのであった。(終わり)

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