熊日夕刊「ヤング欄」における自己完結型エッセイ
アメーバ捜査網・第3回「もっと自己主張したら?」 1997年11月下旬執筆、12月2日掲載 (熊本日日新聞夕刊「ヤング欄」で隔週連載されたコラムです) 前回は、インターネットが、熊本のパフォーマーにとって意外な武器になる!という話をしたんだけど、あえて念を押しておきたいことは「作るのはあくまで自分」ということなんだ。 ちょっと説教チックになるけど、あえて言わせてもらえば、今どきのお若い皆様は、他人の手のひらの上で踊るのは得意なようだけど、自分で手のひらを作るのは劇的にヘタというかそれ以前にほとんどやってないご様子・・。 もっと簡単に言えば、クラブのパーティなんぞに出かけるのは「超お気楽モード」でいいんだけど、イベント自体を主催しようなんていうのは「超きっつぅ〜モード」で全然やる気がないわけね。もちろん例外はあるけれど、ひと昔と比較しちゃうと全然ショボい気がするわけですねぇ・・。 私がまだ現役バリバリのヤング欄フリークだった頃(つまり一九八五年頃)はそりゃあ凄かったんスよ。わけのわからん企画ユニットが雨後のタケノコのごとく続々と誕生するし、いろんなジャンルの劇団や音楽ユニット、映像ユニット、そして我がfmcなどがまさに群雄割拠!といった感じで好き勝手にムーブメントを発信していたのでありました。つまり個々がオリジナルのメディアを持っていたというわけ。 しかし、それらの多くは自己満足ゆえの悲しさか、後に続く人達にノウハウを伝授することなく消滅してしまった。これが「熊本の若い奴のムーブメントは長続きしない」というトラウマと言うか定説の原点になってるんですが・・。 その後、メディアは多様化の一途をたどりました。マルチメディアへ変身(何でも屋から専門店街への変身)したわけですが、ここら辺から若者一般の自己主張というのが弱くなっちゃったね。ちょっと哲学的かもしれないけれど「見てるだけ〜」で楽チンな時代が来てしまったわけですよ。 十年前の若者は「見たいものは自分で作る」という方法しか無かったんだけれども、それで「ぜんぜん良かった時代」なんですね。 |
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