近年、個性が埋没しているとよく言われている。人と同じような格好をして、同じような口調で喋る。女子高生なんかは、特に言われている気がする。確かに、アムラーだったり、コギャルだったり、同じような格好をした十代の女性が多かった。もうアムラーなんてかなり前のこと。あの頃はやったサテン生地のシャツなんて、もうここ2、3年は見かけなくなった。(皆どうしてるの?あのシャツ)
 今は、流行しているファッションを取り入れることが当たり前になって来ている。顔黒だったり、茶髪だったり、厚底ブーツだったり、ラメの入った化粧品だったり。でも、皆本当に好きでしているんだろうか。「実は、顔黒は好きじゃないんだけど、皆がしてるから」っていう女性も、中にはいるんじゃないのかな。 流行の中でも、当然自分の好きになれるものと、好きになれないものがあると思う。ファッション業界は流行を生み出すのが仕事だから、ある程度「今年はこれじゃなきゃ!」っていう文句で売り出すけど、その流行は「ちょっと・・・」っていう人も、かなりの人数いると思う。流行のファッションが、自分に似合うかどうかだって、女性には大きな問題の一つだし。
 例えば、ブランド品だってそう。皆が持っているからって、シャネルだのプラダだのグッチだの、本当に可愛いと思って持っている人なんて、あんまりいないんじゃない?私なんか、シャネルのどこが可愛いんだろうって思ってしまう。それ以前に高くて手が出ないけど。でも、値段よりも前に自分には似合わないと思うし、又可愛いとも思わないから、私には必要ないものだと判断する。シャネルのバッグよりもずっと安い、無名ブランドのバッグの方が、シンプルだし、気軽に使えるし、私には似合っている気がする。ああいうブランド物っていうのは、自分がもっと年を重ねて、その値段に見合う使い方や着こなしが出来るようになって初めて、身につけて似合うものだと思っているから、今の私には必要ない。安いもので十分。
 今、みんな流行の格好をしていないと、どこか疎外感を感じるのかもしれない。一人で違う格好をするのが恐いのか、淋しいのか。でも、好きでもないものを、自分に似合わないものを無理矢理身につけたって、それで満足するかな?本当に自分の好きなものを身につける方が、自分は満足するんじゃないのかな。 好きなものを好きだと言えない風潮になってしまうのは淋しい。音楽だってそれぞれ好みがあるように、ファッションの好みだってそれぞれ。自分の好きなものを身につけて、堂々と街を闊歩できる方が、自分的には気持ちいいよね。
 「レオン」という映画を初めて観た時、極悪麻薬取締官の役をしていた、ゲイリー・オールドマンという俳優さんの演技に惚れてしまった。ジャン・レノやナタリー・ポートマンの切ない純愛よりも、ゲイリーのキレた演技ばかりが頭に残ってしまった。そのことを友人に話すと、「あんたおかしいよ、あの映画はそこが見所じゃないでしょ」って、言われる。でも、私はやっぱりゲイリーが、あの映画の中では一番印象に残っているし、そのことを隠そうとなんか思わない。万人に受けなくても、私の中で「好きなもの」としてインプットされたら、それを自分なりに楽しんでいる。無理矢理人に合わせようとしてもしょうがないし。私の近しい人たちには、私はこういう物が好きなんですって、堂々と胸はって言いたいし。
 個性が埋没していると言われているからって、無理に個性を生み出そうとするより、自分の好きなもの、好きなことを見つけていく方が簡単だと思う。自分の好みって、イコール個性になるんじゃないかな。自分を創り上げている一部なんだし。
 要するに、変だと思われているものが好きでも、自分にとっては「好きなもの」なんだから、隠す必要はないってこと。人と同じよりも、自分が本当に楽しめる物事を追求していける人間になれたらいいな。

「エルニーニョふみか」…WEBラジオFMC番組《楽しい日本語》《就職トークバラエティ・トラエもん》他出演中。



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