所謂日常日記
榎田信衛門「鯨のしっぽ」
本を読む、テレビを見る、
街を歩く、田舎を彷徨う、
物を喰らう・・。
日々の出来事の中で、
一瞬「海馬」に蓄積された記憶を
このページに綴っていこうと思う。

「海馬(hippocampus)」
大脳の古皮質に属する部位で、欲求・本能・自律神経または記憶に関する中枢器官。


第530回

10月3日の日常から・・

まずは、心よりお詫び申し上げる。
ここ数カ月の私の《ブレまくり状態》《責任転嫁》《指導力欠如》は、我ながら赤面モノでござった。
面目ない。
本日ここに《ブレ》を「バシッ!」っとスタビライズする目的で、ブレまくった理由と総括、現状そして今後のビジョンを記したいと思う。

今年の初頭。来年のFMC30周年の1年前ということで、誰も頼んでないのに《勝手に》気合いが入りまくってしまった私である。
それなりにエポックとなる何かをやらかしたい衝動にかられ「よーーし!やったるぜ!」と行け行けドンドンモードでいろんなことに手を出し始めてしまった。
まずは「銭稼ぎ」である・・。
エポック云々の前にまず予算と考え、いろんな技を繰り出し始めた。
実業的なこともいろいろ考えたが、その前にお気楽に手を出したのがアフィリエイトだった。バナー広告とかそういうのね。
びっくりした。儲かったんだよ。何もしないで月20万円超のペースで銭がカウントされていく。
もっともGoogleページランクで『5』ですけんねFMCは・・。そこそこ稼ぐサイトには発展しておったわけですよ。
ただ気持ち悪かった。何か落とし穴がありそうだった。
いろいろ勉強したら、アフィリエイトプログラムの怪しさや危うさに気がついた。
「やっぱり実業がよかばい」・・。
その時、我々の目に入ったのが、FMCの裏庭方向にある1軒の古ぼけた日本家屋だった。
「ここで何かやろう」・・。
それが『lunedi』の始まりだった。

スタッフ総出で『lunedi作り』が始まった。皆、かつてない程の熱の入れようで、それはそれは楽しかったよ。
だが、オープン直後に破綻した。
燃え尽きちゃった奴が続出。
結局(事実上)独りになってしまった。
6月の終わり頃だったかな。
誰も居ない『lunedi』に独り。
エアコンもなく、昼尚薄暗い座敷で店番(というより瞑想)・・。
はい!それはもう大変な鬱病になりましたよ。
10数年前に無気力症候群に陥ったことがあるが(聴かせてやんない!参照)、今度のは鬱病。
ずっと死ぬ事ばかり考えてました。
でもね、夕方近くになると子供達がワー!と元気よくやって来る。
こっちは病気ですからね。元気じゃありません。でも「なんとかしなきゃなぁ」と思うわけです。
閉館時間を過ぎて、夕闇の中《ビラ撒き》を頑張る。
自分を鼓舞しようとしてたんだなありゃ。
でも淋しいですよ。途中、何回か泣きそうになります。
「俺は一体誰のためにこんな辛い思いをしてるんだろう」他人を恨みたくもなる。
でもね。今頃になって思えば、違ったんですよ。
無骨に、独りでもやっていける風なオーラを出して、リーダー然としていようと強がった自分の撒いた種なんだ。

ふと気がつけば、FMCから同世代が消えていた(これは不可抗力ね)。全員年下。
自分ではジェネレーションギャップがあんまりないつもりでいても、相手は違う。
たまに「年齢は離れているけれど友達みたいだ」なんて言われて喜んでいても、実際こっちはおっさんだからね。どこかで謙譲とか遠慮が出るんだろーな。
客観的に見れば《馬鹿な小山の大将》だね。
そんなわけで、大人数に囲まれていても実は『孤独』という歪な人間関係を築いてしまった。これが仲間を遠ざける遠因だったろうと回顧する次第。

突っ張って突っ張って「ふん、俺は独りでもやれるんだ!」といきがっていても、既にココロの病気。吹き飛ばすエネルギーなんてありゃしません。
そして遂に牙城崩壊。
「たすけてくれ・・」
そう言った時に、手を差し出す仲間は、水前寺裕子、ヘルペス和田、卯月みそかそして嫁さん(フィラリア井元)しか居なかった。
この時、もう精神的には弩壷。最悪です。
正直、本気で死にそうだった。
そんな状態だから、自分の人生の大部分がオーバーラップするFMCという団体も終わらせようと考えたんだなぁ。

「FMCを無くしたくない!」と手を挙げたのは水前寺裕子。
この時、あんまり嬉しくなかったですよ。
FMC自体が消えて無くなれば、QICなどの番組も一気に過去のものとなっていく・・なのに続くとなると必ず「辞めるなコール」が来る。実際ものすごい量のメッセージが届きました。こりゃ大変だってね。

この頃、今までにない動きが始まってました。
常連リスナーが私の精神状態を気遣って、自発的にフォローしてくれはじめたのです。
旧知の仲間にも見捨てられた・・と半ば自暴自棄になっている私を見つめてくれたのは、リスナーだったというわけ。
これは嬉しかった。本当に助けられた。
もちろん水前寺ら新執行部の面々もいろいろと気遣ってくれた。
お陰様で、ちょっと前向きな思考回路も蘇ってきた。
「lunediを残そう」そう考えるようになったのは、まさに周囲の応援あってのこと。

そして引越しが始まった。
主力メンバーは、お馴染みスーパーリスナー圏外表示の携帯電話さんら地元リスナーの皆さん。
まさに大汗かいての共同作業。しかも連日・・。
辛くて休みたくなることもしばしば。でも圏外表示の携帯電話さんはタフなんだなこれが。
毎日決まった時刻になると笑顔で現れる彼。そのルーティンとも言えるスケジュールにハマった私の精神状態は見事にリハビリされていった。

直後、オヤジが倒れた。まさに一難去ってまた一難。
近親者の生死に関わる出来事は、精神的ダメージ大きいですよ。
ここで喝を入れてくれたのが長年のおつきあい天竺堂さんだった。
さすがの圏外表示の携帯電話さんも連投でお疲れ気味。私もふと鬱が戻ってきそうな感覚だったのを、見事に吹き飛ばす韋駄天ぶり。また目が醒めた。
そして、いつも笑顔のしずくさん、オヤジのことも良く知っているmshrさん、いいタイミングでフォローしてくれたお昼のリスナーさん、神村小雪さんetc・・熊本在住FMC沈没を救った功労者達であります。
もちろん県外の人々からの温かいメッセージも忘れませんともさ。

今、私はとりあえず元気です。
へたな精神科医よりずっと腕が立つリスナー様の支えによって、現世に戻って参りました。

いつも強がっていた自分。
気持ちを上手に伝えられない自分。
いろんなことを反省しています。

そしてもう1つ反省。
FMC30周年だからどうのこうのではなくて、本来私は何がしたくてこんな活動を30年も続けて来たのか?・・言わば原点に立ち返っての再確認をすべきだということに今頃気付きました。
よく考えれば、私自らの手で『聴かせてやんない!』というFMCにとってのバイブルを書いているわけで、この本の中に自分が進むべき道があるじゃないか?
実は、さっき水前寺としみじみと語り合ったところ。自分の人生も含めてね。
彼女は大物になるよ。

昨日、彼女に「FMCで一発ドカーンと行こうぜ!」といつもの悪い病気で焚き付けちゃったんですね。今朝になって反省しましてねぇ。20才そこそこのお嬢さんにいきなり重責担わせてどうするんだって・・。
現社主は彼女ですから、総大将は彼女に・・という漠然とした縛りもあっての暴論だったのですが、この点も含めて「昨日はすまんかった」と改めて話をした次第です。

ここからが今後の話。
FMCのコンセプトは『聴かせてやんない!』であることはご存知の通り。これは不変。
但し、もっと多くの『勝手に喋る声』が欲しい。かと言って『ねとらじ』のような混沌とした寄せ集めでは困る。
それなりの見識を持って自分の言葉を堂々と発せられる人物が集まって欲しい。
本当の意味でのインディーズ放送局になりたい。
そして、そういう人材を育成していきたい。
以前から言い続けていることです。何も変わりはありません。
でも「変わらない」・・ここですよ。これが重要!
ひょっとしたらこの一番大切なものをこの1年どこかに置いて来てしまったのかもしれない。

というわけで、原点回帰。
そして反撃開始!
まずは私の陣頭指揮で「FMCで一発ドカーンと行こうぜ!」やります。一体何ぢゃそりゃ?・・笑
水前寺社主は現行の番組などをより一層拡充する現場監督を担当。
私は未来の絵を書く係ってな塩梅。
どの程度のドカーン!になるかはこれからですが、NPO法人化の線が現時点では強いかな。
京都にNPOのコミュニティFM局がありますが、やや似ているかも・・。
細かいところはこれから追々お知らせしていきます。

以上の文章をもって『2005年FMCブレまくり事変』終結とさせて頂きます。
ご心配をおかけしたリスナー、読者、関係者の皆様に深くお詫びすると共に、これからも見捨てないでね〜!と一応申し上げます・・笑。


◆本日の一言NEWS・・「日はまた昇る」
右にブレたら左に・・その繰り返しが全体のブレにつながっていたわけで、止まってみたのは正解だったかも。




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